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6/1「美術と手話サロン in 東京都現代美術館」企画を行いました。

6/1(土)に東京都現代美術館にて開催中の企画展「翻訳できない わたしの言葉」に関連した
トークサロン企画を、美術と手話プロジェクトの主催で、東京都現代美術館の研修室にて
行いました。

★開催日時:2024年6月1日(土)11:00~12:30 
★会場:東京都現代美術館 B2階研修室1
★情報保障あり
★企画展「翻訳できない わたしの言葉」
URL:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/

聞こえない人、見えない人、日本で暮らす外国人、外国に長期滞在した経験のある人、
特性のある人が身近にいる人など、多様な参加者が集まりました。
集まった聞こえない人のなかでも、第一言語が日本手話の人や、手話も声も使う人、
また、見えない人のなかでも、全く見えない人や、少し見える人、などさまざまです。

美術と手話プロジェクトメンバーがファシリテータを担当し、参加者の皆さんが一緒に
対話を楽しめるよう情報保障を行いつつ、企画展担当の学芸員・八巻香澄さんも交えての
トークサロンになりました。

まずは自己紹介から。
サインネーム(手話のニックネーム、特徴や好きなもの、印象的なエピソードなどから
作られる)がある人はサインネームや、企画中に呼ばれたいお名前、参加にあたっての
想いなどを一人ひとり伝えていただきました。
「サインネームというものがあるのを初めて知りました!」という参加者もいて、
手話に触れるひとつのきっかけになりました。

《RÉPÈTE | リピート》映像作品について八巻さんの作品の状況や背景の説明を受け、
みんなで鑑賞。映像の日本語字幕も読み上げていただきました。


ユニ・ホン・シャープ 《RÉPÈTE | リピート》(部分) 2019年
会場の投影スクリーンにて、映像作品鑑賞中

そして作品鑑賞の感想や印象に残ったこと、鑑賞を通して思い出した自分の経験、
自分の「言葉」に関すること(例:翻訳できないと感じること、自分の言葉の捉え方、
自分と違う特性のある人の言葉の捉え方やその違いの面白さなど)を絡めて
自由にトークしました。参加者の皆さんの対話の内容の一部をご紹介します。

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・ろう学校で発音の練習を先生とマンツーマンでしていたことを思い出した。
当時感じていたこと、今振り返って思うこと、コミュニケーションの方法をどう選択するかは、
それぞれの環境によっても人それぞれ。

・来日した頃、コンビニ店員の話が早すぎて、わからなくても「大丈夫」とごまかしていた。
作品を観て作家が他の国の言語を使って生活することの大変さを乗り越えていこうと
しているのを感じる。元気をもらった。

・自分の英語の発音が通じなくて辛い思いをしたことがある。発音は大事だけど、それだけで
終わるのはもったいない。自分らしく話すことも大事だと改めて思った。

・ほとんど英語ができない状態でアメリカに行ったので、「あるある」と思った。
アメリカではいろいろな家族がいて、どの言語を使うかはそれぞれ工夫していた。

・正しい発音を知るということは一体何だろうと思う。
作品から、正しいとは何かと問いかけられている気がする。

・社会問題の一つとして「ルッキズム」という言葉があるが、この作品を観て、
声のルッキズムもあるな、と。綺麗に聞こえる言葉を喋っている方が、なんとなくいいことを
言っているように感じることがある。
偏見で聞いてしまうのかな、と考えてしまった。

・発音が上がる・下がるなどのイントネーションは、聞こえない人が日本語の字幕を見るだけ
ではわからなかったりする。字幕の中でイントネーションを読み解けたらいいな、と思った。

・使う言語の違いによる声の違いで、違う人のように感じることがある。
言語と性格は結びついているなと思う。

・皆さんの話を聞くために、情報保障として手話を覚え始めたけれど、手話は自分の言語では
なく、頭の中で日本語に変換している。

・自分はどちらかというと、日本語ではなく映像を頭のなかで思い浮かべて、それを翻訳して
文脈を捉えるような仕組みで解釈している。

・南雲麻衣さんの映像作品《母語の外で旅をする》と同じように、相手によって自分の話し方を
変えるようなことはある。でも、話をするときに常に日本語が頭の中に入っているか?と
言われるとちょっと違うかな?それがどんな感じなのかうまく説明ができない。
まさに「翻訳できない言葉」。

・短い発音でも、話者のこれまで育ってきた環境や背景が見えてくることや、話す人と聞く人で
意味が違うということは、すごいと思った。

・言語からはその人の考え方などを感じると、企画展を観て改めて感じた。
今まで育ってきた環境とは別の感覚を持って、手話をますます勉強していきたい。

・普段東京の言葉で話している、東京で出会った関西人が、新幹線で一緒に大阪に行くと
静岡あたりで関西弁に切り替わることがある。
映像で考える、という話があったが、関西弁で考える、ということもあるのかなと思った。

・海外生活では現地の方と話す時に最初に結論を言わないといけない。
結論を言うと理由を聞かれるので常に理由を考える。日本に帰ってくるとそれが少し変わる。
手話でも、はっきり伝えなければいけない等、音声日本語との違いが面白い。

・人の数だけ言葉があって、それをみんなで大事にしながら、お互いに尊重していかないと
いけないな、と感じた。

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作品鑑賞をきっかけに、参加者それぞれが感じる言葉について、自分自身の言葉について、
話がどんどん繋がり、膨らんでいきました。

そして最後に、今回の企画展に自分が出展するとしたら?という話に。
自分の聞こえの世界を展示してみたい、高齢の方との身振りを交えたり声が大きくなったりする
話し方を取り上げるのもいいかも、型にはまらないダンスでの自己表現を見せるのも面白そう、
などなど、皆さんのアイデアは止まりませんでした。
他にも、意味が通じないようなその人だけの言葉を集めた展示、音楽を映像で視覚的に翻訳する
展示、手話のリズムを取り上げた展示など。
これを読んでくださっている皆さんは、どんな「わたしの言葉」の展示をしてみたいですか?

八巻さんもお話されていたように、「わたし」のなかにはなかった言葉をたくさん受け取り、
感じることができた、あっという間の1時間半。
参加者の皆さん一人ひとりの言葉が育ててくれたサロンになりました。
今回のサロンのように、誰かと対話をしたくなる、そして対話によってみえるものが広がって
いく企画展だなと思います。

サロン終了後も、会場では参加者の会話があちこちで続いていました。
そして、一部の参加者も一緒に交流ランチをし、見えない参加者の声にまつわるお話や
呼びかけ方など、サロンの余韻のままに、皆さん感覚の違いをお互いに知りながら
楽しみました。


サロン終了後、それぞれに立ち話で盛り上がる参加者の皆さん


美術館内カフェでの交流ランチ

今後もさまざまな美術館、そして企画に参加してくださる皆さんと協力して、
こうした企画を行っていきたいと考えています。

文:西岡克浩・田中真理子

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